一夜明けて

舞波はもういないのだな。
普通の娘。卒業とは全然意味が違うよ。
だって、娘。なら卒業したって、まだソロだとか変なユニットだとかで活動のフィールドがあるからさ。
ヲタ的にはそんなに気にするほどのことでもないと思うんだよ。
わしは心の中では、どうせみんなすぐに慣れるよ、って思ってる。




ヲタが娘。という枠組みに特別な思い入れがあるとか、
同僚の娘。メンがさびしくなっている様を見たいとか、
卒業者自身が娘。を離れることにどんな感慨を抱いているのかとか、
そういうことに関心のない私には「娘。卒業したって何が変わるんだ?」とかしか思わんのだよ。




しかし、舞波は違う。
完璧に芸能界から去ってしまう。
形は変われど、結局なんかの活動をしている娘。卒業者とは異なる。
我々はもう二度と舞波に会えることはないのだ。




こんなのは福田アスカ、りんね、ココナッツの良く知らん外人たち以来じゃないか?




身内を亡くしたような、
好きな人を別の男に盗られたような、
どうしようもない虚無感に襲われる。




そんなことを考えていたら、無性に悲しくなった。




おれは卒業おめでとうとはいわねえ。
やめようと思えばいつでもやめられるのだもの。
だから、単位を認められての卒業とは違う。
扱いとしては中退だろう。
他に舞波が歩むべき道を見つけた結果の、誇るべき中退だろうさ。




ただ、おれはただの一般ヲタに過ぎない。
芸能人石村舞波を見ることは許されても、
中学生石村舞波を見ることは許されない。




それが無性に悲しいのさ。
舞波がわしの人生から完璧に切り離されたのが悲しいの。




舞波は自分の夢に向かってまい進していくだろう。
舞波が好きならそれを応援するべきであろう。
ただ、わしをそんなキレイゴトを受け入れられるほど大人ではないのさ。
舞波を見ることが出来ない現状がイヤでイヤで仕方がない自分勝手な男なのだ。
悲しいものは悲しいのだからしょうがない。
どうしようもない。









おれは舞波が好きだったのだ。